質入品目 絵画

絵画

奈良 美智 ならよしとも

奈良美智は日本の画家・彫刻家・ポップアート作家です 女の子をモチーフにした絵画が有名 一目見たら忘れられない、深い印象を残す子どもや動物たちの作品が世界中で高く評価されています 奈良美智は、1959年、青森県弘前市生まれ 1987年愛知県立芸術大学修士課程修了 1988年に渡独し、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍 2000年より海外で相次いで個展を開催します

草間 彌生 くさまやよい

前衛芸術家 1929年、長野県松本市生まれ 幼少期から幻視・幻聴を体験し、網模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始めます 様々なオブセッションを乗り越え、作品制作を通して、強迫的な反復による自己消滅という救済を見出します 1957年に渡米後はより抽象度の高いネットペインティング、ソフトスカルプチャー、ミラールームなどのインスタレーションやハプニングなど多様な展開を見せ、前衛芸術家としての地位を確立 以降、世界各地の美術館で展覧会を行っております

東山 魁夷 ひがしやまかいい

東山魁夷は、清澄で深い情感をたたえた風景画により、戦後の日本画の世界に大きな足跡を残しました 自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげたその芸術世界は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして評価されています 明治41年(1908)、横浜に生まれた東山魁夷は、東京美術学校を卒業し、ドイツ留学の後、太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われますが、そうした苦難のなか風景の美しさに開眼し、戦後はおもに日展を舞台に「残照」や「道」といった風景画の名作を数多く発表しました

片岡 球子 かたおかたまこ

戦国武将や禅僧、浮世絵師などの人となりを描いた「面構」シリーズを制作し続けた日本画家の片岡球子 歴史上の人物が「現代に生きていたら、どんな行動をするか」という視点で、その人物の肖像画や同時代の風俗を参照しながら、独自の解釈を加えて表現を行います そのほか、「富士山」や「裸婦」などをテーマに、鮮烈な色彩と大胆な造形感覚を特徴とする作品を発表 日本画壇に限らず、現代の絵画でも造形上の問いを投げかけました

平山 郁夫 ひらやまいくお

昭和5年広島県瀬戸田町生まれの日本画家  昭和27年に東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業後、前田青邨に師事し、主に院展を舞台に活動します 昭和20年の夏、広島での被爆体験がきっかけとなり、「平和を祈る心」を仏教伝来の道シルクロードに重ね合わせ、昭和43年以来「シルクロードシリーズ」を描き続けます また、作品制作活動のほか、世界文化財赤十字構想を提唱し、人類の文化遺産としての文物保護活動への協力を事業目的の一つに挙げて活動 「敦煌研究センター」の建設などに協力、敦煌の石窟群の保護などの活動を通して10年間で計50人を中国から招き、修復技術を伝授  日本と中国の文化交流を深めるなど、国内外から高い評価を得ています

藤田 嗣治 ふじたつぐはる

藤田 嗣治は1886年(明治19年)、東京市牛込区(現在の東京都新宿区)新小川町の医者の家に4人兄弟の末っ子として生まれます 日本生まれのフランスの画家・彫刻家 第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びます エコール・ド・パリの代表的な画家です フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタです

千住 博 せんじゅひろし

千住博は1958年は東京生まれの日本画家です 日本画の存在やその技法を世界に認知させ、真の国際性をもった芸術領域にすべく、絵画制作にとどまらず、講演や著述など幅広い活動を行っています 自然の側に身を置くという発想法を日本文化の根幹と捉え、自身の制作活動の指針としている 代表作のウォーターフォールは1995年ヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞

絹谷 幸二 きぬたにこうじ

絹谷幸二 1943年生まれ 日本画家 東京藝術大学を経て1971年のイタリア留学によってアフレスコ(壁画技法)をさらに深め、帰国後、歴代最年少にて画家の登龍門である安井賞を受賞 多彩な技法を駆使し、エネルギーに満ちあふれた独自の画風を確立します 現在はシュルレアリスムと抽象表現主義を総合したような画面構成に漫画的吹き出しを組み込む事で、現代的な具象画の探求を行っています 1997年には長野冬季オリンピック・ポスターの原画制作、2008年には渋谷駅の壁面にパブリック・アートを設置、2014年には文化功労者に選出され、美術と社会を結びつける幅広い活動も行っています

東郷 青児 とうごうせいじ

東郷 青児は1897年鹿児島県生まれの日本の洋画家です 本名は東郷鉄春 夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡しました 1916年、19歳の時に、西洋の新しい美術を志向する日本の画家たちが集まっていた二科展で最高の二科賞を受賞 1921年から7年間フランスに留学しピカソらと交流しました 帰国後は二科展で活動しながら、滞仏経験を活かした文筆や壁画、挿絵、装丁で人気を博しました また、派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれます

荻須 高徳 おぎすたかのり

荻須高徳は1901年愛知県中島郡生まれ 戦前・戦後を通じ、半世紀以上をフランスで過ごし、パリの街並みなどを描き続け、フランスで最もよく知られていた日本人画家です 画家としての最初の成功は1928年のサロン・ドートンヌ入選です 1934年には最初の個展をジュネーヴで開催します 1940年に戦況悪化のため一時帰国を余儀なくされ 終戦後の1948年、日本人画家として戦後初めてフランス入国を許可され再び渡仏します 1982年にはフランス国立造幣局が荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユを発行 当時のシラク・パリ市長は「最もフランス的な日本人」と彼を評しまた

小磯 良平 こいそりょうへい

日本を代表する洋画家のひとり、小磯良平は、1903年に神戸に生まれました 東京美術学校を首席で卒業後、生涯の友となる詩人の竹中郁とともにヨーロッパに渡り、西洋絵画の薫陶を受けます 帰国後は清楚な女性像に代表される人物画を数多く手がけました 戦後は母校である東京藝術大学において後進の育成につとめ、また東京・赤坂の迎賓館のための壁画を制作するなど、この分野における多くの傑作を残し、1983年には文化勲章を受章します

香月 泰男 かづきやすお

香月泰男は1911年山口県に生まれます 戦争と敗戦、抑留の体験を1949年「埋葬」から描き始めてその後約20年間にわたって45点余の作品を制作、それらが“シベリア・シリーズ”と呼ばれています 作風の単調さからある時期には万年新人候補と云われていたが、陶器の肌のような画肌を基調とした色数の少ない色調の画面で、静謐のなかに戦争の暗黒と死者への鎮魂の詩を描きだし、1971年、第1回新潮社日本芸術大賞を受賞します

中島 千波 なかじまちなみ

中島千波 1945年長野県生まれの日本画家 父は日本画家中島清之です 平成12年母校東京芸大の教授 人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、桜をはじめとする花鳥画など多彩な画題にとりくんでいます また、宮尾登美子「きのね」などの挿絵もえがいております 著作に「日本画の描き方」「中島千波画集」などがあります

笹倉鉄平 ささくらてっぺい

笹倉鉄平は1954年兵庫県出身の画家 「光の情景画家」と称され、様々な表情の光があふれる画風は、写実的でありながらも想像性に富み、”心が安らぐ”絵として、老若男女幅広いファン層を持ち、多くの支持を得ています 画家デビュー以来、200作品以上の版画作品をはじめ、画集、詩画集、版画集、DVD作品集等が出版され、ポスターやポストカード、ジグソーパズル、カレンダー等のアートグッズも高い人気を保持し現在に至ります 近年では、フランス、中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を、美しい情景画として表現し世界へ伝えています

上村 松園 うえむらしょうえん

上村 松園は1875年京都府生まれの日本画家です 本名は上村 津禰(うえむら つね、常子(つねこ)と名乗っていたこともある 女性の目を通して「美人画」を描いた 1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章 子の上村松篁、孫の上村淳之と3代続く日本画家です 京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」を念願として女性を描き続けました

川合玉堂 かわいぎょくどう

川合 玉堂は1873年愛知県生まれ 明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です 本名は 川合芳三郎 画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いました 1931年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与、1933年にはドイツ政府から赤十字第一等名誉章を授与、1940年には日本政府から文化勲章を授与されています

横山大観 よこやまたいかん

1868年~1958年 明治~昭和時代の日本画家 明治元年9月18日生まれ 橋本雅邦(がほう)に学び、明治29年東京美術学校助教授となりますが、31年校長の岡倉天心らと辞職、日本美術院に参加します 大正3年日本美術院を再興し、近代日本画の中心作家として活躍します 昭和12年文化勲章受賞 昭和33年2月26日89歳で死去 茨城県出身 東京美術学校(現東京芸大)卒 旧姓は酒井 本名は秀麿 代表作に「生々流転」「海山十題」などがあります

小倉遊亀 おぐらゆき

小倉 遊亀は1895年滋賀県生まれの日本画家です 奈良女子高等師範学校卒 1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となりました 色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女性画家で、「O夫人坐像」「小女」「浴女」などがあります 奈良女子大学の講堂の緞帳は、小倉遊亀の「爛漫」、滋賀県立大津高等学校の体育館の緞帳は「うす霜」という原画によるものです

白髪一雄 しらがかずお

白髪一雄は1924年兵庫県生まれ 京都市立芸術大学で日本画を学びます 52年、村上三郎、金山明、田中敦子と「O会」を結成 55年には吉原治良を中心とする前衛芸術グループ「具体美術協会」に村上らとともに参加します 大学卒業後に日本画から洋画に転向し、風景画や人物画を描いていたが、描き方を大幅に変更 天井から吊るしたロープを両手でつかみ、床に広げたキャンバスの上に絵具を出し、体をダイナミックに動かしながら足を使って絵の具を広げて作品を制作するという「フット・ペインティング」を確立しました

今井俊満 いまいとしみつ

今井俊満は1928年京都生まれ 日本の洋画家です アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動しました 1952年にフランスへ留学、ソルボンヌ大学文学部に学びます サム・フランシスやミシェル・タピエを知り、自身もアンフォルメル運動に参加します 1962年、現代日本美術展優秀賞受賞、1979年、紺綬褒章受章 1983年にはフランスの芸術文化勲章オフィシエ受章 1995年にはレジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章 1997年にはフランス芸術文化勲章コマンドール受章 2008年には文部大臣表彰を受賞します

伊東深水 いとうしんすい

伊東 深水(1898年2月4日 – 1972年)は大正・昭和期の浮世絵師、日本画家、版画家  実娘は女優・タレント・歌手の朝丘雪路 歌川派浮世絵の正統を継いでおり、日本画独特のやわらかな表現による美人画が有名です 本妻の好子をモデルに大作を数多く発表し、評価を高めます 戦後は美人画とも並行し、個人的に独自の題材で日本画を制作することが多かった 人気のあまり、戦後には多くの作品が複製版画として頒布されるようになりました

児玉希望 こだまきぼう

児玉 希望(1898年7月5日 – 1971年5月2日)は、日本画家、日本芸術院会員  広島県出身、本名・省三 川合玉堂の門に入る 帝展に出品し、1918年同審査員、文展、日展に出品 1950年日展運営会参事、日月会を結成 1953年日本芸術院賞受賞、1958年日展評議員、1959年日本芸術院会員 1961年日展常務理事 1970年勲三等旭日中綬章受章  画塾の門下には佐藤太清、奥田元宋、船水徳雄らが在籍しています

小林古径  こばやしこけい

小林 古径(1883年2月11日 – 1957年)は、大正~昭和期の日本画家です  本上京して梶田半古に日本画を学び、39歳の1922年(大正11年)より前田青邨と共に渡欧留学 「蚕の吐く糸のような」と評される線描が特色のこの中国古典を研究することによって、古径は東洋絵画の命である線描の技術を高めます 代表作「髪」は、このような古径の線描の特色をいかんなく発揮した名作である。簡潔に力強く描かれた線と単純な色彩で、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の体温や皮膚の柔らかい感触まで、繊細に描き出しています

即中斎 そくちゅうさい

即中斎は、明治・大正・昭和をまたにかけて茶道の普及に努めた12 世惺斎(さいせい)の次男として産まれます 慶應義塾大学文学部、及び京都大学史学部選科を卒業し、兄に続いて父を亡くしたことから、1937年に家元を継ぎ、表千家13 世家元となります 日本のみならず海外での茶道普及にも貢献しています 「即中茶記」「表千家」「元伯宗旦文書」「千里・同風」などの著書も出版するなど、多彩な才能を見せています

淡々斎  たんたんさい

14代淡々斎碩叟が茶道の学校教育への導入を働きかけた結果、学校のクラブ活動で教えられる茶道の大半は裏千家となっています 淡々斎はまた各地の寺院・神社にて献茶・供茶を行ったり、海外への普及に取り組んだりと、茶道振興に功が大きい 全国統一の同門組織として「社団法人茶道裏千家淡交会」を結成し、また家元を財団法人化するなど、裏千家茶道の組織化も引き続き行われ、流派別の茶道人口としては最大規模を誇るようになりました

福田平八郎 ふくだへいはちろう

号は素僊(そせん)、九州 印に「馬安」を用いていますが、父・母の名前にちなみます 鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされ、生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は昭和天皇と一緒に魚釣りに行ったときの、池面に映る水面の模様を描写した作品です

鵬雲斎  ほううんさい

千 玄室(せん げんしつ、1923年4月19日 – )は茶道裏千家前家元15代汎叟宗室 斎号は鵬雲斎 若宗匠時代は宗興 現在は大宗匠・千玄室と称します「玄室」の名は、千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、これに因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名のったことに由来します

前田青邨 まえだせいそん

歴史画を得意とし、大和絵の伝統を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示します その中でも、武者絵における鎧兜の精密な描写は、ことに有名です 1955年(昭和30年)に、文化勲章を受章するなど、院展を代表する画家として活躍し、晩年には法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等、文化財保護事業に携わります 代表作の1つ「洞窟の頼朝」は2010年(平成22年)に重要文化財に指定されました

安田靫彦 ヤスダユキヒコ

1884年生まれ 1898年より小堀鞆音に師事 青邨らと共に紫紅会(後、偶々同じ「紫紅」を名乗っていた今村紫紅も参加し紅児会)を結成 後岡倉天心に認められ、1907年に日本美術院に招かれます 院展の初回より作品を出品し、再興院展にても尽力 肺病に悩まされながらも晩年まで制作を続けました 1974年の『鞍馬寺参籠の牛若』が院展出品の最後になります

葛飾北斎 かつしかほくさい

葛飾北斎は宝暦10年(1760年)、江戸時代後期の浮世絵師で化政文化を代表する一人です 代表作に「富嶽三十六景」や「北斎漫画」があり、世界的にも著名な画家です 森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表しています 若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していました しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開きました

歌川広重 うたがわひろしげ

歌川広重は寛政9年生まれ 江戸時代の浮世絵師です 本名は安藤重右衛門 江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となりました 風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えます 始めは役者絵から出発し、やがて美人画に手をそめますが、文政11年(1828年)師の豊廣没後は風景画を主に制作し、天保元年(1830年)一遊斎から一幽斎廣重と改め、花鳥図を描くようになります

歌川国芳 うたがわくによし

歌川国芳 寛政9年生まれ 江戸時代末期の浮世絵師です 画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎、朝桜楼、雪谷、仙真とも号しました 江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出しました

鳥居清長 とりいきよなが

鳥居清長は宝暦2年江戸生まれの浮世絵師、鳥居派の代表的な絵師です 鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、それらや後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人です 特に堂々たる八頭身の美人画で、今日世界的に高く評価されています 鳥居派は役者絵を専門とする画派ですが、清長の本領は一世を風靡した「美南見十二候」、「風俗東之錦」、「当世遊里美人合」などの美人画です

鈴木春信 すずきはるのぶ

鈴木春信は享保10年生まれ江戸時代中期の浮世絵師です 細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼしました 現存する作品数は、1000点ほどとされており、後世の人気浮世絵師たちと比べると、1図あたりの残存数が少なく、主要作品の多くが海外に渡っています

今井俊満 いまいとしみつ

京都・嵐山に生まれる 荻太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事 旧制武蔵高等学校在学中から絵を描き始め、1948年、新制作派協会展に入賞 東京藝術大学油絵専攻で1年間派遣学生として学んだあと、ソルボンヌ大学文学部に学びます アンフォルメル運動を日本に紹介するとともに、アンフォルメルと日本画の融合にも取り組みます 2000年、末期がんで余命数ヶ月と告知され、同年12月、東京・銀座の画廊で「サヨナラ展」を開催 1962年、現代日本美術展優秀賞受賞、1979年、紺綬褒章受賞、1995年、フランス レジオン・ド・ヌール勲章受章、1997年、フランス芸術文化勲章(コマンドール)受章

瑛九 えいきゅう

1936年にフォトグラムの作品集『眠りの理由』を刊行 第二次世界大戦前では最もまとまった、しかも質の高いフォトグラム作品集で、瑛九のフォトグラムは特に「フォト・デッサン」とも呼ばれます 第二次世界大戦後は、むしろ絵画や版画(銅版画、リトグラフ)の制作に力を入れ、泉茂や早川良雄らとともに1951年にデモクラート美術家協会を結成 自由美術家協会、創造美育協会などにも参加 オノサトトシノブと、深い親交を結びます エスペラントを学び、1948年には宮崎エスペラント会の機関誌のガリ切り、印刷にたずさわるなどの活動を行いました

嶋本昭三 しまもとしょうぞう

「具体」という名の提案者 以降主な具体全展に出品 具体美術展に出展した、瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名です 国内外で精力的に活動を続け高い評価を得ています また若手アーティスト育成にも力を入れており、アート・アンアイデンティファイド(AU)を主催していました

関根伸夫 せきねのぶお

埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれの現代美術家、彫刻家 多摩美術大学客員教授 1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表 その後、「公共空間を活性化させるアート」に関心を移し、1973年環境美術研究所を設立 東京都庁舎シティーホール前の『水の神殿』をはじめ、さまざまなモニュメントやプロジェクトを実現しています

村上隆 むらかみたかし

現代美術家、ポップアーティスト 有限会社カイカイキキ代表取締役、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授 学位は博士 日本アニメポップ的な作風の裏には、日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く、日本画のフラット感、オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれています 中でもアニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名です

ロッカクアヤコ

筆などを一切使わず、手で直接キャンパスや段ボールに描く その独特のスタイルで行われるライブペインティングや、色彩豊かな作品で知られる。2006年スイスでのアートバーゼル出展時に行ったライブペインティングで100枚以上を描き完売 現在、人気・評価ともに日本よりもヨーロッパで高く海外での活動が中心になっている 2007年12月に国内初となる大規模な個展が開催された

畦地梅太郎 あぜちうめたろう

当初油彩画家を志していましたが、船員、石版印刷工などを経て、24歳の時に内閣印刷局に就職し、仕事の空き時間に職場にある材料で鉛版画を試みたことがきっかけで、版画の道へ進みます 1937年夏に軽井沢へ出かけ浅間山に魅せられ、山を制作の主題に定めて山の風景を描いた作品を多数発表したます 戦争中の満州への単身赴任などを経て、第二次世界大戦後は「山男」シリーズを発表していき、右手親指のけが、大やけどの後は家族をテーマにした作品を多く制作しています

刑部人 おさかべじん

刑部は川端龍子に日本画を学び、東京美術学校の西洋画科の在学中に帝展に初入選します 画家として順調なスタートを切りますが、ヨーロッパ各地で起こっていたフォーヴィズム、キュビズムをはじめとする新しい芸術運動の波の中で、他の多くの画家たち同様に一時的なスランプに陥ります  作風について悩んだ果てにたどり着いたのは、時流に惑わされず本来の写実中心の自分の道に帰ることでした 先輩の洋画家・金山平三との数々の写生旅行を経て、刑部は絵筆により細部を精緻に組み立てていく表現を超え、ペインティングナイフのバネの反動を利用して生乾きの絵具を重ねていくアクション・ペインティング風の独特の画風を生み出します

池田満寿夫 いけだますお

旧満州に生まれ、戦後長野県長野市で育つ 長野県長野高等学校卒業 高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京しますが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念 このうち、1回は油絵科志望、2回は彫刻科でした 酒場で似顔絵を送りながら19歳で自由美術家協会展に入選 その後、画家、瑛九の勧めで色彩銅版画の作製に取り組みます この時期、平井蒼太主宰の真珠社から豆本のシリーズを刊行 1957年に東京国際版画ビエンナーレ展に入選 1960年には同展で文部大臣賞を得て脚光を浴びました

宮本三郎 みやもとさぶろう

石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれ 油絵の他に雑誌の挿絵、新聞小説の挿絵も多く手がけ、戦時中は「山下、パーシバル両司令官会見図」など戦争画も手がける 国立霞ヶ丘陸上競技場の壁画や切手の原画などで知られ晩年には木版画の作品も手がけています

金子国義  かねこくによし

『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がけ、1967年、澁澤の紹介により銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビューします 世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とする 活動・表現領域は幅広いが、一般には「富士見ロマン文庫」(富士見書房)、『ユリイカ』をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことで知られます またL’Arc~en~Cielのhydeとも親交が深く、彼の好きなコウモリをモチーフにした浴衣をデザインしたりHYDEのアルバム「FAITH」のジャケットのデザインを担当しています

宮永岳彦  みやながたけひこ

大正8年(1919)~昭和62年(1987)静岡県磐田郡生まれ 宮永岳彦は、人物画家として油絵を中心にポスター、童画、表紙画、挿絵、水墨画など多彩な作品を残した作家です 鹿鳴館時代の華麗な洋装に身を包んだ貴婦人たちの姿を描き続け、画面の奥からスポットライトのように人物を照らし出す逆光を多く用いた作風は、女性像をより魅力的にし、彼の独自の色相と相俟って、独自な美人画の世界を確立していました

ルノワール

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年2月25日 – 1919年12月3日)は、フランスの印象派の画家です  美の賛美、特に女性の美を追求した作品で知られており、「ルノワールはルーベンスからヴァトーへの直接的系統に属する最後の古典主義絵画の代表者」と評価されています 初期には新古典主義のアングルや、ロマン主義ドラクロワなどの影響を受け、その後、モネらの印象派のグループに加わります 晩年は女性の美を追求し肖像画で独自の境地を拓きました 日本をはじめフランス国外でも人気の高い画家です

ロートレック

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは1864年南仏アルビのトゥルーズ伯爵家に生まれます 迅速かつ的確に対象の形態を捉える才能や、人物の内面や社会的内情を見出す観察力に秀で、それを活かして世紀末独特の厭世的・退廃的空気に覆われたモンマルトルなどパリの歓楽街で生活する人々を、独特な現代的感覚によって表現します サーカスやムーラン・ルージュなどのダンスホール、カフェ、ダンサーなどの芸人、娼婦らを描いた風俗画作品が有名です また大量生産が可能となったポスターの原画も数多く手がけます

モディリアーニ

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884年7月12日 – 1920年1月24日)は、イタリアの画家です 生前、絵画は評価されず、貧しい暮らしを余儀なくされていたモディリアーニですが、死後に独特な画風が認められ、今でも世界中で大規模な回顧展が開かれるほど絶大な人気を誇っています モディリアーニ絵画の代表作は、大部分が1916年から1919年の間に集中して制作されています ほとんどは油彩の肖像と裸婦であり、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっています

ローランサン

1883年パリに生まれ、モンマルトルの丘のアトリエ長屋「洗濯舟(バトー・ラヴォワール)」でピカソ達が始めた芸術革命の只中のたった一人の女性画家としてそのキャリアをスタートし、詩人ギョーム・アポリネールとの伝説的な恋、ドイツ人男爵との結婚と離婚、二つの大戦と激動する社会情勢の中で、彼女の作風は女性ならではの感性により変化し、エコール・ド・パリの最も重要な画家として独自の芸術を確立し、現代の芸術家達にも多大な影響を及ぼしています

シャガール

マルク・シャガールは1887年ロシアのヴィテブスクに生まれます ユダヤ教を信奉するユダヤ人家庭に生まれ、豊かな色彩と、ユダヤの文化を反映させた独自の幻想的な表現が特徴です その作風は、特に詩人たちの心を揺さぶり、彼らはシャガールを絶賛することとなります 1914年、ドイツのベルリンにあるシュトゥルム画廊で初めての個展を開き美術界での評価を不動のものとします シャガールは、絵画やリトグラフ、ステンドグラスなどの作品を、98歳の長きにわたる生涯のすべてを注いで制作し続け、多くの傑作を残しました 

ゴーギャン

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(1848年6月7日 – 1903年5月8日)は、フランスのポスト印象派の画家です ゴーギャンは、装飾的な線と色面を用いて、目には見えない世界をも絵画に表現しようとしました 1888年、ゴッホとゴーギャンは南仏アルルで約2カ月の共同生活を送ります ともに制作し、時には激しい議論を重ねながら刺激を与え合いました ゴーギャンはゴッホとの共同生活が破綻したのち、楽園を求めてタヒチ島へと旅立ちます ゴーギャンの作品はタヒチを題材にした絵が多いです

ポール・シニャック

ポール・ヴィクトール・ジュール・シニャック(1863年11月11日 – 1935年8月15日)はフランスの画家です ジョルジュ・スーラとともに新印象派の画家として活躍したことで知られる。シニャックはスーラの点描主義を発展させた 
アナーキズムの思想に影響を受け、自由と調和に満ちたユートピア的な世界を絵画にしようとしました 理論的な著作『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派まで』(1899年)を刊行し、スーラ死後の新印象派の発展と体系化に努めました

ヴァン・ドンゲン

キース・ヴァン・ドンゲン(1877年-1968年)はオランダの画家です オランダからパリに移り、後期印象派やロートレックらの影響下で絵画を学びます 1906年、モンマルトルのバトー=ラヴォワール(洗濯船)に移り住みピカソや詩人のマックス・ジャコブらと交友 マチス、ブラマンク、ドランらと知り合い、ゴッホの色使いに刺激をうけフォーヴィスムの運動に加わり強烈な色彩と大胆な筆触による独自の画風を形成しました

ドラクロワ

ウジェーヌ・ドラクロワ (1798年4月26日 – 1863年8月13日) は、フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家です 色彩の魔術師と呼ばれたほど色彩表現に優れ、輝くような光と色彩の調和による対象表現や、荒々しく劇的でありながら内面的心象を感じさせる独自の場面展開で、文学的主題、歴史画、宗教画、肖像画、動物・狩猟画、風景画、静物画などあらゆるジャンルの作品を制作 自身は孤高の存在でありましたが、当時の西欧全体に広がりつつあったロマン主義や新様式の先駆として注目されます

ヨハネス・フェルメール

ヨハネス・フェルメールは1632年にオランダ・デルフトに生まれ バロック期を代表する画家の1人です 映像のような写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特徴とします フェルメールの通称で広く知られます 本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト

サルバドール・ダリ

初代ダリ・デ・プブル侯爵 (1904年5月11日 – 1989年1月23日)は、スペイン・フィゲーラス出身の画家です シュルレアリスムの代表的な作家として知られます フルネームはカタルーニャ語でサルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク「天才」と自称して憚らず、数々の奇行や逸話が知られています