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質入品目 漆器 陶器
漆器 陶器
仙台堆朱 せんだいついしゅ
仙台堆朱とは、型押した素地や木地に、朱色の漆を塗り重ね、黒で古色を入れる技法で作られた漆器です 起源は中国に由来し、明治時代に新潟県の村上堆朱の職人である川崎栄之丞が仙台にやって来て、仙臺堆朱の基礎を築いたと伝えられています 細微な彫刻と、朱と黒の東洋的な美しさをあわせ持つ仙台堆朱は、郷土仙台の誇る工芸品です
玉虫塗 たまむしぬり
玉虫塗は昭和7年に、国の初めての試みとして仙台に設置された国立工芸指導所で、輸出のために開発されました 艶やかに照り返す発色と光沢が特徴の、仙台生まれの漆芸です 光の加減で色合いが微妙に変わる、その豊麗な色調がタマムシの羽根に似ていることからこの名が付けられました 独特の風合いに加え、玉虫塗はもともと国策として開発された特許技術であることも大きな特徴です
川連漆器
川連漆器は、秋田県湯沢市川連町で作られています 起源は、今から約800年前、鎌倉時代にさかのぼります 当時の稲庭城主である小野重道の弟にあたる道矩が、この地の豊富な木材と漆を利用し、家臣に刀のさや、弓、鎧などに漆を塗らせたのが始まりとされています 昭和51年には国の伝統的工芸品に指定された川連漆器 時を重ねるごとに技術開発が行われ、実用的な堅牢さと美しい装飾を身につけ、現在も進化を続けています
津軽塗 つがるぬり
津軽塗の成立は江戸時代中期、弘前藩第四代藩主津軽信政公(1646~1710年)の治世にさかのぼるとされる始まりとされています 明治6年に開催された、ウィーン万国博覧会に「津軽塗」の名前で漆器を出展し、賞を受けます 津軽塗という名前が一般的となるのは、このころからです 昭和50年には津軽塗が経済産業大臣指定伝統工芸品に選定されます 藩政時代には様々な塗の技法が存在しましたが、現代まで伝わっているのは唐塗・七々子塗・紋紗塗・錦塗の四技法です
秀衡塗 ひでひらぬり
秀衡塗りは、平安の末期、奥州平泉に絢爛たる文化をもたらした藤原秀衡が京より職人を招来し、この地方特産の良質な漆と金をふんだんに使い、「器」を 造らせたのが起源とされています 秀衡塗は幾多の歴史の変遷・興亡の中にあって、この土地の工人達によって造り継がれてきました 朱と黒と金の基調の中に 配された春秋草花紋と、ふっくらと手になじみ雅趣に富む形体は、現代の生活にも調和して使う人の心をなごませるものがあります。昭和60年、伝統工芸品の指定も受け、歴史と伝統の中にその「技」と「美」は今も脈々と受け継がれています
会津塗 あいづぬり
会津の地に本格的に漆工芸が根付いたのは、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が、産業として漆工芸を奨励したことによります 朴、栃、欅等を木地として日用品漆器を生産し消粉・色粉などの蒔絵と沈金に特徴があり日本人好みの縁起の良い意匠や、多彩な加飾法が楽しめ、渋味のある「鉄錆塗」もみ殻をまいて模様を出す「金虫喰塗」木目の美しい「木地呂塗」、美しい塗肌の「花塗」が特徴です 昭和50年、伝統工芸品に指定されました
春慶塗 しゅんけいぬり
慶長12年(1607年)、高山城主の金森重頼の兄である重近(宗和)に献上し、気に入った重近が、塗師の成田三右衛門に塗らせたのが始まりとされています 以後、自然のままの木目を生かした黄金色の漆器「春慶塗」は山国である飛騨らしい特産品となりました 誕生当初は、茶器としての利用が主でしたが、江戸時代以降、盆や重箱など一般生活用品も多く作られるようになり、庶民も手にするようになりました 昭和50年には伝統工芸品に指定されました
日光彫 にっこうぼり
江戸時代初期、東照宮造営のために集められた彫物大工が、仕事の余暇に彫ったのが日光彫の起源と言われています 「ひっかき」と呼ばれる独特の道具から生み出される流れるような曲線と材料の美しさを最大限に生かした日光堆朱と呼ばれる漆塗りが特徴です 日光彫のモチーフは、牡丹や菊、桜、梅、ニッコウキスゲなど、植物が多いのですが、これは、すぐ目の前にある日光の豊かな自然を表現しているからです
鎌倉彫 かまくらぼり
鎌倉彫とは、カツラやイチョウなどの木を用いて木地を成形し、文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品で、鎌倉市及びその周辺地域で作られたものをいいます 鎌倉時代、中国から禅宗とともに伝来した堆朱(ついしゅ)や堆黒(ついこく)などの影響を受け、工夫をこらしながら木彫漆塗りの技法で仏具を作ったのが鎌倉彫の始まりです 室町時代には茶の湯の興隆とともに茶道具として大いに珍重されました
村上堆朱 むらかみついしゅ
江戸時代に始まる村上堆朱は、彫刻と、きゅう漆法(きゅうしつほう)に総合された芸術品で、その彫刻面細部の「きゅう漆法」には「指頭塗」により優良な国産漆を用い、また整形中、塗研ぎにも硬質の砥石を用いるなど、他に類を見ない高度の技術で工作されています 新潟県文化財指定書この特色ある意匠技術をもつ、村上堆朱は、昭和31年2月に新潟県文化財に指定され、同年3月には、国の記録化の対象に選定されました 昭和51年2月には通産大臣より、村上木彫堆朱として伝統工芸品の指定を受けました
輪島塗 わじまぬり
今から、600年ほど前に、輪島の重蓮寺に紀州根来寺の僧が来て膳や椀を作ったのが始まりとされています 天正10年(1582年)加賀藩主の能登巡行の際、すでに輪島塗の特徴である地の粉が使われており、 輪島独自の加飾技法である沈金は18世紀に完成、蒔絵は19世紀初め会津からもたらされました 漆器作りに適した気候風土、近隣にアテやケヤキなど材料となる素材が豊富にあった事などから漆器生産が盛んになり技術が発達しました 昭和50年には輪島塗が伝統的工芸品に、昭和52年には重要無形文化財に、昭和57年には輪島塗の制作用具など3000点以上が重要有形文化財に指定され、美術工芸品として日本一の漆器と称されるようになりました
越前漆器 えちぜんしっき
越前漆器は福井県鯖江市周辺で作られている漆器です 越前漆器の始まりは約1500年前に後の継体天皇が皇子のころに傷ついた冠を職人に修理するよう命じたことがきっかけで漆器づくりを推奨したことという言い伝えがあります 特徴は、漆の落ち着いた光沢や上品な華やかさです。美しく深い色合いで日本人の心を和ませ、婚礼やお祝い事のハレの日に使用する漆器としても親しまれています
曲げわっぱ
で縫い止めた弁当箱を作ったのが始まりだといわれています 大館曲げわっぱの生産が盛んになったのは今から約400年前、秋田藩主、佐竹義宜候が関ヶ原の戦に豊臣方として惨敗を喫し、水戸より東北の片田舎秋田に移封されたころ、領内では冷水害により窮乏を極めており、領内の豊富な森林資源を利用できる曲げわっぱを下級武士の手内職として奨励したことによります 昭和55年に伝統工芸品指定を受けています
堤焼 つつみやき
かつて仙台市の堤町に窯場があったことから、その名がついた「堤焼」 1688年守備隊として配置された下級武士達の副業として開窯したと伝えられています 四代藩主・伊達綱村が江戸から陶工・上村万右衛門を招いて指導に当たらせました 茶道に通じた仙台藩主の器などを作る御用窯としてはじまり、後に甕(かめ)や鉢、皿をはじめとする庶民の生活雑器を生産するようになりました 粗く優れた地元の土を活かした素朴さと、黒と白の釉薬を豪快に流し掛けた“海鼠釉(なまこゆう)”が特徴です
相馬焼 そうまやき
相馬焼は江戸時代の後期、元禄の頃から約300年続く、歴史の長い焼き物です 相馬駒焼と大堀相馬焼という2種類に分けられます 相馬駒焼は藩主相馬氏への献上品から始まったもので、現在まで一子相伝でつくられています 対する大堀相馬焼は、庶民が日常生活で使える手軽なもので、主に農家の副業として営まれた半農半陶の工芸品でした 大堀相馬焼が現在のような3つの特徴(馬の絵、ひび割れ、二重焼き)を持ち始めたのは明治維新の頃だといわれています
益子焼 ましこやき
益子での焼き物は古くからありましたが、現在の「益子焼」という形になったのは江戸時代からです 嘉永6年に大塚啓三郎が創始しました 益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていました その後1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなります 昭和49年には伝統的工芸品に指定されています
常滑焼 とこなめやき
常滑窯は日本六古窯(常滑・信楽・備前・丹波・越前・瀬戸)の中でも最も古い歴史を持っています その始まりは平安時代までさかのぼり、愛知県知多半島の常滑市を中心に、丘陵地帯におよそ三千基もの穴窯が築かれ、壺・甕・山茶碗などが作られました 常滑の良質な粘土を産んだのは、650~100万年前に存在していた東海湖だと言われています 「古常滑」とは、この平安時代から江戸時代初期までに作られたものをいいます
信楽焼 しがらきやき
日本六古窯(信楽・備前・丹波・越前・瀬戸・常滑)の一つである信楽焼は、滋賀県信楽町を中心に作られた近畿地方を代表する窯地です その始まりは未だ明確にされていませんが、平安時代後期に常滑焼の技術を取り入れ中世窯として発展したと考えられています 一般に「古信楽」とは明治時代以前の釉薬をかけないものを呼びます 室町時代の末頃までは壺、甕、擂鉢などが盛んに作られていましたが、侘茶の流行とともに、素朴で温かみのある信楽焼は茶陶として愛され珍重されるようになります
備前焼 びぜんやき
備前焼は、「日本六古窯」の中で最も古い焼き物です 備前市の伊部地区が代表的な産地で、釉薬を使わず、絵付けもせずに高温で焼くのが特徴になります 備前焼の歴史は、古墳時代に遡ります 須恵器(すえき)の製法が変化し、鎌倉時代~桃山時代にかけて、現在のような形になりました 堅くて割れにくいため、多くの茶器や茶陶として愛用され、庶民の日用品として大人気になります 昭和57年には国の伝統的工芸品に指定されております
萩焼 はぎやき
茶陶として有名な萩焼は、江戸時代に周防・長門の二国を領有する毛利氏の御用窯として発展した陶器で、その歴史は今から400年以上前の文禄元年まで遡ります 土が粗いため浸透性・保水性・保温性が高く、土と釉薬の収縮率の違いによりできる表面の細かな貫入(ヒビ)から水分が浸透し、器の中から表面にまで至ります。この浸透により、使い込むほどに器の色合いがだんだんと変化していきます この変化は「萩の七化け」と呼ばれ、萩焼の特徴的な魅力となっています
萬古焼 ばんこやき
室町時代に、楽市楽座の自由商業都市として栄えた桑名の有力な回船問屋沼波家は、陶器専属の問屋で、当時茶碗として有名だった伊勢天目を扱いました その沼波家が江戸時代に作り始めたのが萬古焼です 耐熱性の特長を活かした紫泥の急須や土鍋が有名です 特に土鍋の国内シェアは、7、8割を占めると言われています
九谷焼 くたにやき
九谷焼は、江戸時代初期の1655年ごろに加賀の藩主前田利治が、領内の九谷の金山で陶石を発見したのが始まりとされています 九谷の窯は1700年代の初頭に突然に、閉じられてしまいましたが、原因は定かではありません この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が 高く評価されています 古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山窯が開かれ、再興九谷の時代に入ります 木米風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本屋窯、金襴手の永楽窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました 今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています
有田焼 ありたやき
有田焼とは、佐賀県有田町とその周辺地域で製造される磁器を指しますが、明治以降に広く用いられるようになりました 江戸時代は伊万里焼もしくは肥前焼と呼ばれていました 17世紀後半に芸術性の高さが評価され東インド会社が有田焼を買い付けるようになります これらの有田焼を伊万里の港から輸出していたことから「伊万里焼」と呼ばれるようになりました 現代までに様々な変化を繰り返しています 有田焼には3つの様式があると言われており、一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島藩窯」の三様式に分けられます
唐津焼 からつやき
唐津焼の起源は諸説ありますが、室町時代末から桃山時代にかけて、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとされています 登り窯や、蹴ロクロ、釉薬法など、朝鮮渡来の技術の導入によって作風や種類も豊かになり、全国に流通したことで唐津焼は日本を代表する焼物となり、西日本では焼物のことを「からつもの」と呼ぶほどまでに有名になりました
美濃焼 みのうやき
美濃焼は、他の焼き物産地である九谷・京焼・有田焼・信楽・備前などと多少異なり、1つの焼物の様式(スタイル)を持っていません 美濃(東美濃地方)で焼かれた器を指し、代表的な織部焼・志野焼をはじめ、土ものだけでなく・磁器の産地でもあり、焼物の国内シェアは半分以上を占めます
瀬戸焼 せとやき
瀬戸焼は、美濃焼・有田焼と並ぶ『日本3大焼き物』の一つです 愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称で、日本六古窯の一つとなります 東日本に広く流通し、瀬戸物と呼ばれています 瀬戸市内の採掘場からは、良質な陶土・陶石がたくさん出土します 石英分を豊富に含んでいる赤津蛙目(あかづがいろ)粘土が陶器の主原料となっており、民芸品の素朴さを持った模様から優雅な染付まで種類・模様が豊富な焼き物です
砥部焼 とべやき
砥部焼は、愛媛県伊予郡砥部町周辺で作られている陶磁器です 江戸時代中期に作られ始め、昭和51年には経済産業省により伝統的工芸品として認定されました 特徴は、光を通すほどに際立った白く美しい磁肌です 有田焼と比べると白い磁肌にやや灰色味が感じられ、原料となる陶石に鉄分などの成分を含むので色味が変わります その分、砥部の職人らは釉薬を改良したり、デザイン職人が手描きで絵を描いたり、様々な工夫を施してきました
平清水焼 ひらしみずやき
平清水焼は山形県山形市平清水で焼かれる陶磁器です 江戸後期の文化年間に地主の丹羽治左衛門が茨城からの陶工、小野藤次平を招いて、地元千歳山の土を使って焼かせたのが始まりとされます 窯元によって、使う釉薬も技法も異なります 千歳山の原土は鉄分の多い硬い陶石で、陶器と磁器それぞれの成分となる土が採れたことから、両方の焼き物が作られてきました
楢岡焼 ならおかやき
楢岡焼の始まりは江戸末期に秋田の内陸、南楢岡の地で焼物を焼いたのが始まりとされています かつては大瓶をはじめとした品物を作り、周辺住民に供給してきました 時代とともに作る品物は大物中心から食器中心へと移ってきました 土を活かし、装飾を控え、使いやすさと温もり、そして美しさを追及しながら現在に至ります 最大の特徴は青さが際立つ海鼠釉(なまこゆう)という釉薬です 全国的にも非常に珍しい青みと深みを有します
京焼 きょうやき
江戸時代、京都市内には粟田口焼、八坂焼、音羽焼、御室焼、御菩薩池焼、修学院焼、そして清水寺参道あたりで焼かれていた清水焼とあり、それら京都の焼物の総称を京焼と呼んでいました 現在では、東山一帯・山科・宇治などで生産されるものを京焼・清水焼と呼んでおります 京焼・清水焼は、備前焼・信楽焼・有田焼などのように決まった土や釉薬・技法がありません 京都では原料となる陶土を採ることがほとんどできないので、陶工は他の産地から土を取り寄せ、独自にブレンドし、個性あふれる作品を生み出しています
薩摩焼 さつまやき
薩摩焼の歴史は、文禄・慶長の役(1529~1598)、別名「やきもの戦争」で朝鮮出兵した薩摩藩17代藩主島津義弘が80人以上の朝鮮人陶工を連れ帰ったことに始まります 薩摩焼は特徴の違いから「白薩摩」「黒薩摩」の2種類に分けられます 当時の白薩摩は「白もん」と呼ばれ、藩や島津家だけが使用し、一般の人の目には触れることがありませんでした 黒薩摩は「黒もん」と呼ばれ、白もんとは対照的に庶民の器として愛されてきました
大倉陶園 おおくらとうえん
大倉陶園は1919年に東京・蒲田に創業されました 完璧な白磁の美しさを求めて最高級カオリンを贅沢に使用し、世界でも類を見ない1460度の高温で焼成することにより「大倉ホワイト」と呼ばれる独特の白さを持つ白磁器が生み出されています 温度については当時のフランスリモージュの焼成温度を参考にし、1460度となりました 絵付けには国家技能検定一級を取得した選りすぐりの絵師たちが心を込めて製作しています 今からおよそ100年前に完成させた卓越した技術は綿々と受け継がれ、現在も美術的価値の高い白磁を作り続けています
深川製磁 ふかがわせいじ
1894年(明治27年)に有田町にある香蘭社の深川栄左ヱ門の次男深川忠次により設立されました 1900年(明治33年)にはパリ万国博覧会に出品して、最高名誉のメダーユドールを獲得します 400年の歴史を持つ有田焼は、 昭和52年に国の伝統工芸品に認定され、卓越した技を 継承する伝統工芸士たちの手によってその美しさを今に伝えています 深川製磁にはその数少ない「伊万里・有田焼伝統工芸士」7名の 資格保持者が従事し日々研鑽に励んでおります
ノリタケ
1876年、東京銀座に貿易商社森村組を設立した森村市左衛門は1904年愛知県愛知郡鷹場村大字則武にノリタケの前身となる日本陶器合名会社を創立します 則武という地名が「ノリタケ」ブランドの由来となります ノリタケブランドは欧米で絶大な人気を博し、日本の外貨獲得にも貢献したといわれています ノリタケの歴史は、まさに日本の洋食器の歴史とも言えます 1800年代の末から第二次世界大戦前後まで輸出された装飾品はオールドノリタケと呼ばれコレクターに親しまれております
香蘭社 こうらんしゃ
今からおよそ三百年前、江戸文化が華麗に花開いた元禄の頃、初代深川栄左衛門が肥前有田で 『香蘭社』の前身となる磁器の製造を始めました 香蘭社の製品は、有田磁器独特の白く硬い透明な生地の上に、 優雅な染付と華麗な赤絵を配した典雅な文様、十八世紀フランスのセーブルを中心に、ヨーロッパで愛好された 金銀彩のルリ釉もの、さらに目にやさしく心がなごむグリーンシリーズ製品など多彩を極めています 香蘭社の製品は、すべて伝統を誇る有田色絵磁器の多様な文様を集大成し、 有田の伝統様式を一歩前進させたとして評価され、 広く親しまれています
橘吉 たちきち
たち吉の前身、「橘屋吉兵衛」が京都の中心地・四条富小路に誕生したのは、江戸時代後期の宝暦2(1752)年のことです 8代目当主 岡田徳之助が屋号を「たち吉」と改称します その後、昭和25年200年間も大切に受け継いできた店が、火事により焼失します 焼け残った商品を安売りしたところ高級なイメージが強かった、たち吉の商品を身近に感じさせる絶好の機会となりました たち吉の再起大安売りは大好評のうちに1か月ほども続き、火事からわずか半年あまりで店を再建できました 現在では全国各地の陶磁器を仕入・販売しており、百貨店などに100以上の店舗があります
マイセン
17世紀、ヨーロッパでは東洋の薄くて硬い白磁器(景徳鎮や、伊万里など)が貴重な美術品として扱われておりました 当時のヨーロッパでは磁器の高度な製造技法がなく白磁の研究を進めます 1709年、錬金術師のべドガーはチルンハウス伯爵の協力のもと、ヨーロッパではじめての白地の磁器の製造に成功します 1717年には磁器の染付けにも成功し、マイセンのトレードマークである双剣(アウグスト王の紋章)が窯印として使用されるようになります
リチャード・ジノリ
1735年、鉱物学に詳しかったカルロ・ジノリ侯爵は、ドイツのマイセンの窯に匹敵するものをイタリアにも作りたいと思い、自ら土や発色の研究をし、フィレンツェに近い自領ドッチァに窯を創設しました 1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して現在のリチャードジノリとなり、1956年ラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併しイタリア最大の陶磁器メーカーとなりました ジノリ最古の代表作である「ベッキオホワイト」やトスカーナのとある貴族の為に造られた「イタリアンフルーツ」は不朽の名作として愛されています
ウエッジウッド
ウェッジウッドは、「英国陶工の父」ジョサイア・ウェッジウッドによって創設されました 精緻なレリーフで有名なジャスパーウェアをはじめ、クィーンズウェア、ブラックバサルトなどの名作が作られ、つややかな白さと透明感に堅牢性をも兼ね備えた素地「ファインボーンチャイナ」が誕生しました きめ細かく輝く素地に鮮やかに映える絵柄や、洗練されたシェイプは実に多種多様です「質の高いテーブルウェアをより多くの人に」というジョサイアのスピリットは創業当時から変わらずに受け継がれ、現在も多くの人々を魅了し世界の食卓を彩っています
ロイヤルコペンハーゲン
ロイヤルコペンハーゲンは、デンマークの陶磁器メーカーです 絵付けはすべて手描きで、製品の裏側にはロイヤルコペンハーゲンのマークと、アーティストのサイン、シェーブナンパーが入れられています 古くから日本の古伊万里染付の影響を強く受け、手描きによるコバルトブルーの絵柄が特徴です 1868年から制作されている下絵の手描きのブルーバターン「ブルーフルーテッド」はベストセラーのひとつで世界中で愛されていますが、特に日本人の人気を集めています
ロイヤルクラウンダービー
ロイヤルクラウンダービーは英国で唯一、2つの称号を冠する陶磁器ブランドです 1750年にイングランド中部ダービー州で創業の、英国で最も歴史ある陶磁器ブランドの一つで、1775年に国王ジョージ三世よりクラウンの栄誉を、そして1890年にビクトリア女王よりロイヤルの名を賜りました その確かな技術力、高品質、美しいデザインは、イギリスで格調高いライフスタイルの象徴とされています デザイン、モデリング、転写紙の製作、ハンドペイントに至るまで、全ての工程を英国・ダービー州の自社内で行っています
アラビア
1873年に誕生した北欧フィンランドの名窯アラビア社 優れたデザイン性・芸術性を保ちながらも、使い勝手に配慮した実用的な陶器を発表し続けています シンプルなものから華やかなものまで、オリジナリティー豊かな製品を幅広く揃えているのもアラビア社ならではの特徴です 世界中の人々に愛されているムーミンのキャラクターを再現したシリーズなどが人気です
ヘレンド
ヘレンドは1826年、ハンガリーの西の端、オーストリアとの国境近くに誕生しました 当時のハンガリーは「貴族のなかの貴族」といわれたハプスブルク家の統治下にあり、ヘレンドもウィーンの宮廷サロンでその技術に磨きをかけていきます 繊細な手描きの技法で作り出される美しい器は、皇帝フランツ・ヨゼフやエリザベート妃をはじめ、多くの王侯貴族に愛され、ヘレンドの名を広めていきました 現在も秘伝の技術を伝承し続けています
モーゼル
モーゼル社の創始者は1857年3月に自身のショップを兼ねたガラス工房を開いたルドヴィグ・モーゼルです 彼はこの工房をガラス成形、エングレービングなどのマイスターたちによる、これまでにない手工芸の企業へと発展させました 華やかなモーゼルのクリスタルは王族たちがこぞって手に入れるアイテムとなります 王室の結婚式、重要なビジネスシーンまた政治の舞台で、モーゼルはその場を厳かに彩ってきました この伝統が認められ、世界的に「キング・オブ・グラス」と称されています
バカラ
フランス東部のロレーヌ地方にある小さな村バカラ 1764年にルイ15世の認可を受けてクリスタルガラスの製造を始め、1823年のパリ国民博覧会では、その高い透明度と巧みなカット技術に人々の評判が集まり、金賞を受賞しました 以来、ルイ15世をはじめとする多くの王侯貴族に愛用され、その名は不動のものとなりました






